2008年08月02日

綾渡の子らに綾渡のエトスを

 七月に入り、夜念仏の練習が始まった。夜八時、各家から集まった男性は平勝寺境内地に半円形に並ぶ。音頭取りは鉦を三つ鳴らした後、「光明遍照十方世界」とよく通る高い声で節をつけて詠いはじめる。呼吸を合わせ「念仏衆生摂取不捨」と側の人々が唱和する。「南無阿弥陀仏南無阿弥陀」暗い境内地に清らかな声がゆっくりと染み渡っていく。

 二十年前、平勝寺の住職になって初めて夜念仏を聞いたとき私は感動のあまり涙を流してしまった。

 平勝寺は曹洞宗の寺院であり、坐禅が宗旨である。道元禅師の坐禅を慕い雲水生活を十一年間過ごした私は念仏を唱えたことがなかった。ひとつの行でさえ満足に修行できない私は念仏を唱えるべきではないとまで思っていた。

 綾渡の夜念仏は、そんな私の思いをいとも簡単に打ち砕いた。亡き人を偲び、今、私に与えられているいのちの尊さを実感させてくれる力が夜念仏にあった。  

 そのとき坐禅と念仏は別々のものではないと思った。念仏が声でする坐禅であるなら、坐禅は体全体でする念仏であった。

 それ以来、夜念仏が私の心にしっかり定着した。

 その昔、夜念仏は綾渡だけのものではなかった。矢作川上流の旧串原村や旧山岡町、西三河の北西部にある旧旭町でも広くおこなわれていた。なぜそのようなことが言えるのかといえば、各地に夜念仏供養塔があるからである。夜念仏供養塔は夜念仏がおこなわれていた証拠である。夜念仏の起源はあきらかでない。しかし足助地区新盛にある夜念仏供養塔に寛政六年(一七九四)と年号が刻まれているので、少なくとも二百数十年の歴史があることがわかる。

 各地の夜念仏は徐々におこなわれなくなった。上切山や葛沢では昭和三十年代初めまでおこなわれていたが、やめてしまった。そして綾渡だけが夜念仏を続けている。私たちが夜念仏と盆踊りをやめれば、日本からひとつの民俗文化が消えることになる。それゆえ国は「綾渡の夜念仏と盆踊」を重要無形民俗文化財に指定した。

 綾渡は全部で二十八戸、人口は百名ほどである。これだけの人数で国の重要無形文化財を伝承していくのは大変なことである。何度も存続の危機に見舞われた。しかし、そのたびに綾渡の人々は先人の歩んだ道を思い返し踏みとどまった。

 毎土曜日、夜念仏と盆踊りの練習が境内地でおこなわれるが、今年は大きな変化が二つあった。

 ひとつはお嫁さんがふたり、踊りの輪に加わったことである。彼女たちの足の運び、手の振りがとても初々しく思えた。

 そしてもうひとつは、子どもたちが親に連れられて参加するようになったことである。参加したと言っても、子どもたちは歓声をあげて走り廻っていただけである。私はそれでよいと思っている。夜念仏や踊りの場に身を置いているだけで、この子らに綾渡のエトスが伝わっていくであろう。

 いのちのつながりを歌と踊りで後世に伝えることこそ綾渡に住まう者の勤めであると思った。


(注 エトスとは、ある民族や社会集団にゆきわたっている道徳的な習慣・雰囲気をいう)

  


Posted by 一道 at 09:00Comments(0)