2008年12月03日

お薬師さんの薬瓶





 足助の各地区には、それぞれ薬師堂や地蔵堂があります。綾渡にもあります。

 綾渡では毎年十一月にお薬師さんとお地蔵さんにお参りします。医療機関が現代ほど発達していなかった時、病気にかかった先人たちは、病気平癒をお薬師さんに真剣に願いました。不妊治療がなかった時、元気な子どもが授かりますようにとお地蔵さんに心から願いました。綾渡には、お薬師さん以外にタバコを断って願掛けをする「ドモ婆さんの墓」や松カサを供えて願掛けをする「カサ神さま」もあります。それほど病気は大敵でした。

 昔の人々が恐れていた病気を今では病院で治療することができます。
 昔、不治の病であったものが今では完治できます。そのように医学を発展させ病気を克服してきました。それは素晴らしいことです。

 しかし、限りあるいのちを生きている私たちはどんなに医学が発展しようともいつかは老い、病にかかって死んでいかなければなりません。なにもマイナス思考を推奨しているのではありません。発達した医学の恩恵をこうむり過ぎ、私たちは自分のいのちについてあまりにも無頓着になっていないでしょうか。お薬師さんやお地蔵さんにお参りすることを通して改めて自分のいのちについて考えてみました。

 玄奘訳「薬師瑠璃光如来本願功徳経」によれば、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、菩薩の時に大願を発して仏になったと書かれています。

 その大願とは、衆生の病を治し、災いを消し、衣食などを満足せしめるというものです。現在この部分については、医療や行政がその役割を果たしています。
 このお経の中で大切なところは、薬師如来が持っている薬瓶の中に何が入っているかということです。
 それは、無明の病を直す法薬が入っているとされています。
 体が患うだけが病気ではありません。「もっと欲しい、もっと欲しい」と欲望にブレーキをかけられないことは病気ではないでしょうか。
 それを治す薬を私たちはお薬師さんからいただかなくてはなりません。

 数限りない欲望のうち、ひとつだけ例をあげてみます。テレビを点けると、どこかのチャンネルで必ずグルメ番組を放映しています。貴重な食材と手間のかかった調味料を使用し、過度に視聴者の食欲を刺激しています。私は本能としての食欲を否定するものではありません。しかし「もっとおいしいもの、もっとおいしいもの」と極端にそれだけを追求している姿は異常だと思います。

 私の師匠は二十数年前、イタリアのキリスト教会に招聘され、彼の地で坐禅を行じていました。イタリアに足かけ七年おられました。 
 ある日、師匠が浜松の聖隷病院に入院されているとの連絡を受け、急いで病院へ行きました。師匠に面会し、事情を聞きました。
 師匠は「前立腺ガンの末期症状で手術は不可能、余命三ヶ月」と言われました。師匠以上に私がショックを受けました。平成六年のことでした。
 その後、いろいろな経過がありましたが、師匠は食事療法だけで十四年間、元気に過ごされています。その証拠に、先月弟子十名ほどが集まり、師匠の提唱を聞きました。その折り「お前は今、なにをしているのか。誰に何を伝えているのか」と一人ひとりに鋭く問いかけ、明け方四時まで席を立たれませんでした。師匠は弟子の誰よりも元気でした。

 食事療法について師匠はつぎのように言われました。 
 「主食の玄米と野菜の煮付け、海草、時どき骨ごと食べられる魚と貝、このくらいの料理で循環する『偉大なワンパターン』を貫き通すこと。大切なことは身体の養生と心の養生をともにおこなうこと。」と。
 「心の養生とはどのようなことですか。」
 「釈尊が言われた少欲。そして畏(おそれる)ことが必要だ。畏れると慎む心が生まれる。人間の欲望を畏れ慎むことが養生である」と言われました。

 私は師匠の教えが薬師経に述べられている法薬だと思いました。
 あとはこの私がその薬を服すだけです。
  


Posted by 一道 at 18:05Comments(0)