2009年01月31日

豊かに生きるとは?

 




 豊かに生きるとは、どういうことなのだろう?

 お寺の池や防火水槽に厚い氷が張った。
子どもたちは自分の背丈より長い丸太ん棒を持ち出し、ドーンドンと氷に打ち付けていた。
私は「もう止め!危ないから止め止め」と声をかけたが、子どもたちは氷割り遊びを止めようとしなかった。
男の子も女の子も満面の笑みを浮かべて氷を割っている。
私が見守って居ればそれほど危なくないと判断し、遊ばせておいた。

 私は名古屋で育ち、この子らほど山や川、野や池に親しむことなく過ごしてしまった。
この子らは身近な自然の中で生き生きと遊んでいる。

 男の子は魚を釣り、ヘボを飼っている。
魚を釣るためのミミズは落葉の下から見つけだす。
釣った魚は塩焼きにして昼には食べてしまう。
ヘボの餌はカエル。そのカエルも蛇も手掴みができる。
その上、毒蛇には手を出さないという智慧を持っている。

 女の子はお寺に来るまでの道すがら花を摘む。
その花を輪ゴムではなく、野にある蔓できゅっと縛って持ってきてくれる。
木いちごやグミの実を摘んで食べる。
食べたら腹痛になる植物を見分けることもできる。

 自然の中で生きているのは人だけではない。
あらゆる生命を育んでいる自然、この子らは知らず知らずのうちにそうした自然と深くかかわって過ごしている。
またこの子らは、おとなが主催する地区の伝承儀礼にも参加する。

 春になるとおとなたちは豊かな実りを願い、お鍬さまにお参りし、太鼓を叩いて田畑を廻る。
夏には亡くなった人々を偲んで念仏を唱え盆踊りをする。
二百十日には台風が来ませんようにと集まってお経をあげる。
秋には収穫祭の神事をおこない、ヘボ祭にはヘボ供養を忘れない。

 このような祭事を通して子どもたちはいのちのあり方を学んでいる。
おとなたちが自然の恵みに感謝して畏敬の念を忘れずにいることが子どもに対する最良の教育だと思う。

 ところが現代産業社会において、おとなたちは自然と直にかかわる営みを避けてきた。
経済的に利益になる面のみで自然を利用してきた。
そして自然と最も親しい農業や林業さえ工業化の対象としてしまった。
このような社会を豊かな社会と言えるだろうか。
自然から奪えるものを奪い尽くして自分のものにすることが豊かになったということだろうか。

 子どもたちは遊びの天才である。
氷を見ても、霜柱を見ても遊び道具にしてしまう。
遊びとは、利害得失を忘れ、現在を楽しみ、今に生きることだと思う。

 豊かに生きるとはどういうことなのか。今こそ元から問いなおす時である。

 自然と人がつながり、人と人がつながり、自らの汗を流して働き、時には夢中になって遊び、自然の移ろいに沿って暮らす人々がここにいる。
そんな人たちのなかに答えがあるのかもしれない。


  


Posted by 一道 at 11:42Comments(0)