2013年07月30日

「蘭亭序」を臨書する

 


七月中旬、私は原田鈔治家へ棚経に行きました。
原田家の皆さんは揃って棚経に参列されました。
お経が終わってお茶をいただいているとき、当家の高校生、拓実君が書いた半切を見せていただきました。
とても上手に書いてありました。
それは『蘭亭序』の一部を臨書したものでした。

 拓実君は小学生のとき、平勝寺へ書道を習いに来てくれました。
その関係上、書かれた臨書の読みと作品の構成について私の意見を述べました。
そのとき、拓実君の祖母(さよ子さん)が「和尚さんの臨書が一枚ほしい」と言われました。
私は不遜にも「書いてみましょう」と約束してしまいました。

 拓実君が何をお手本として臨書したのかを聞くと高校の書道の教科書でした。
さっそく教科書を借りました。
その教科書の最初に蘭亭序〈神龍半印本〉が原寸で複写されていました。
神龍半印本の蘭亭序は北京故宮博物院が所蔵しており、五年ほど前に東京で初公開されました。
ニュースで聞き及んでいましたが、残念ながら見に行くことができませんでした。

 今から千六百五十年ほど前、会稽山の麓の蘭亭で曲水の宴が催され、名士四十一人が集いました。
盃を回し、詩を詠みました。
それを一巻にまとめ、王羲之がその場で序文の草稿を作りました。
世が変わり事が異なるとも感動するところは変わらないということを二十八行、三百二十四文字で表わしました。
下書きですから思いのままに書き、追加や書きなおしが見てとれます。
追加や書きなおしがあっても、これこそ日本では奈良時代から現代まで書道のお手本とされているものです。

 王羲之は魏晋南北朝時代の東晋の政治家です。
隋、唐と時代がくだり、王羲之の名声を高めたのは唐の太宗・李世民が王羲之の書を深く愛したからです。
太宗は王羲之の真行二百九十紙、草書二千紙を収集したといわれています。
そして王羲之が書いた蘭亭序も自分のお墓へ入れました。
そのため王羲之の真筆は今、ひとつもありません。

 現在、王羲之の書とされているものは、唐代以降に複写したものか、石版や木板に模刻して、それを写しとった拓本のみです。

 したがって、拓実君が持っていた教科書の蘭亭序〈神龍半印本〉も王羲之の真筆ではなく、唐のはじめに馮承素という人が模書(敷き写し)したものと言われています。
教科書の蘭亭序をよく見ると帖首の右上に「神龍」という印が割り印されています。
神龍とは唐の元号で七百五~七百七年のことです。
この割り印が押してあるので〈神龍半印本〉といいます。

 拓実君は蘭亭序の前半にある「以暢叙幽情是日也天朗氣淸惠風和暢」の十六文字を臨書していました。
臨書とは古典の文字を詳しく観察して文字の造形、筆の動き、特徴的なおもむきを捉えることだと思います。
その意味では文意を汲まず、どこからどこまで臨書しても構わないです。
しかし私の趣味として、半切に書くとしたら意味の通るように書くのがよいと思っています。
この場合ですと少なくとも直前の一字「足る」を入れたほうがよいです。

 そこで私は「足以暢叙幽情是日也天朗氣淸惠風和暢」の十七文字を臨書しました。
 「行書は王羲之にはじまり、王羲之に終わる」とまで言われています。
何枚、書いてもうまくいきませんでした。
「書いてみましょう」と約束してしまいましたので練習途中のものですが一枚、拓実君に渡しました。
上の写真が渡したものです。
  


Posted by 一道 at 14:21