2013年04月18日

龍宝寺落慶法要




 平成二十五年三月三日(日)午前九時から龍宝寺本堂新築再建の落慶法要が営まれました。
私を含め十六ヶ寺の住職が随喜しました。
川面の檀家ならびに龍宝寺さんの親族も参列しました。
 今から約四百年前、清室寶泉という和尚さんが小さな草庵を結んで仏道修行と地域住民に布教活動をしました。
その三十年後、正保三年(一六四六)に大鷲院三世・寶山全鏡和尚さんが、この草庵に隠居し龍宝寺として再興しました。当時は三代将軍家光の時代であり、境内地の広さは縦八間、横十五間であったそうです。
これ以後、龍宝寺は大鷲院末寺となり、今日に至っています。

 今回、解体された本堂から棟札が出てきました。
その棟札には宝暦四年(一七五四)と書かれていました。
今から二百五十九年前に旧本堂が建てられたことが分かりました。
宝暦は享保の改革後、増税による百姓一揆が各地に起きた時代でした。

そのような大変経済状況が悪い時代にもかかわらず、龍宝寺の本堂が建てられたのです。
川面村の安藤紋右衛門の寄進によったものでした。
安藤紋右衛門の子孫が今の安藤實さんです。
その安藤實さんが大工さんとしてこのたび本堂を建てました。
尊い因縁を感じます。

 明治九年(一八七六)に、宗門制度の改変により法地寺院となり歴代住職の世代を数えることになり現在の松井孝宗住職が九世になります。

 明治十三年(一八八○)、龍宝寺三世・倉地覚忍大和尚さんの代に開山堂を増築しました。
その前年に覚忍和尚さんから得度を受け、お坊さんになったのが九歳の隆堂さんです。
隆堂さんは六年間、覚忍和尚さんのもとで小僧をして十五歳のとき香積寺の河村鴻川大和尚さんに随身しました。
この河村鴻川大和尚さんは平勝寺の法地開山様です。
鴻川大和尚さんのご縁で六年後に隆堂さんは平勝寺の住職になります。
私は平勝寺十世ですが、大覚隆堂大和尚さんは平勝寺四世です。

隆堂さんは二年ほど平勝寺の住職を勤め、明治二十六年五月に師匠である大智覚忍大和尚の跡を継いで龍宝寺の住職になりました。

 この大覚隆堂大和尚さんから得度を受け、お坊さんになったのが平勝寺九世・小川昇堂さんです。
深いご縁があるものですね。

 ともあれ榎津勇建設委員長のもと龍宝寺檀信徒の皆さんが協力して、間口六間半、奥行五間の木造平屋造り銅板葺き(面積約三十四坪)が完成しました。
三年前に住職より本堂修理の必要性を発議し、それを受けて寺役員が対応を検討しました。
耐震構造を備えた修理の場合で三、四千万円、新築の場合で五、六千万円の概算が出たそうです。
それ以後、経費調達の苦労を重ね、実際の工事は去年の二月から丸一年かけられました。

施行者は足助の鳥居材木店です。

 その他のことですが、去年の三月、龍宝寺さんから山号額を書くよう依頼されました。
私は半年かけて文字を仕上げました。
山号額の板を鳥居材木店さんが寄付され、名古屋の長谷川仏具店さんが彫刻されました。
落慶法要前に本堂入口に掲げられました。
上記の写真がそれです。
 
献珠山龍宝寺が続くかぎり、山号額も残ることでしょう。
私にとって善き巡り合わせをいただいたと感謝しています。



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