2009年11月29日

満映映画が視聴可能に

 
 今まで知られていなかったものが初めて見つけ出されることがあります。

例えば先々月、中国のジュラ紀後期(約一億六千万年前)の地層から、長い風切り羽を持つ小型肉食恐竜の化石が見つかりました。

 また、行方不明になっていたものが見つかることもあります。

例えば昭和初期から行方がわからなかった「大澤本・源氏物語」が八十年ぶりに見つかりました。

 このようなニュースを聞くと私はわくわくします。
私たちの持っている先入観や固定概念が、発見された事実によって壊されるからです。

 今、私が一番興味を持っているのは満洲映画協会(満映)が製作した映画です。
戦前・戦中の人たちにとって満映の映画は見なれたものかもしれません。
しかし、戦後生まれの私は見たことがなかったのです。
正確に言えば見ることができませんでした。
なぜなら満映のフィルムが行方不明になっていたからです。

 満洲国の国策会社であった満映が作った映画は約千本ありました。
 その大量のフィルムが消えたのです。
中国や日本のどこかに眠っているかもしれません。
敗戦時に焼却されたかもしれません。
ところが一九八五年のペレストロイカ(再構築改革)によってソ連が崩壊し、満映フィルムが旧ソ連にあることが判明しました。

 ロシア国立映像資料館がモスクワ郊外にあります。
満映フィルムはそこに秘蔵されていました。

 十五年ほど前、日本のテンシャープという会社が満映フィルムをすべて買い付けようとロシア資料館と交渉しました。
しかし原板フィルムはロシアの法律で国外持ち出し禁止だったのでビデオ化して持ち帰ったのです。

 このような経緯で今、見ることができるフィルムは約百三十本、三十時間分です。
そのうち私は三十三本の映画を見ました。
それらの映画を見ることによって今まで持っていた先入観が壊れていきました。

 一般に映画は娯楽であると思われています。
しかし、映画には大きな教育力が秘められています。
それだから、映画の製作や上映が国家の統制下におかれた時、映画の果たす役割が大きく変化します。
戦時下の映画は社会の矛盾から国民の目をそらし、国家に協力させる気持ちを国民に植えつけていました。

 当時、勇ましい気分に酔って映画館を出た観客が後日「権力者やメディアに操られた」と言い訳したとしても、今を生きる私に同じ言い訳は通用しません。

 新たに発見された満映フィルムをはっきり見ることによって、操られる社会構造、流される社会構造を明らかにし、再び日本が戦争を起こさないようにすることが今に生きる者の責任であると思います。







上は満映作品のロゴです。

 満映の時事映画は、はじめは製作本数が少なく、「満映ニュース」と呼んでいました。
 一九四○年以降はスタッフが充実したので毎月三号づつ製作されたようです。

 満映の時事映画には「満映通信」(日本語)と「満映時報」(中国語)があります。
こども用の「こども満洲」や「協和満映時事報」もありました。
私が見た「協和満映時事報」は無声映画でしたが、中国文の字幕が出ていました。

 題材は満洲国の主な政治活動、皇帝の行事、観光、開拓の様子、祭り、学校の様子、産業、衛生などです。中でも日本の軍隊と満洲風景の紹介が突出していました。
  


Posted by 一道 at 17:51Comments(0)

2009年11月07日

ゆずが実った


 我が家のゆずが今年、はじめて実りました。
 どなたにいただいたか忘れたくらい前に植えました。
 でも、小さな苗木のときに寒冷紗を掛けたことを覚えています。

 桃栗三年、柿八年、柚の大馬鹿十八年と言います。
 ことが成就するには、それなりの時間がかかるものだと思います。
  


Posted by 一道 at 11:17Comments(0)