2016年07月10日

太田雄貴選手  がんばれ!



太田雄貴選手、がんばって! リオ五輪での金メダル獲得を期待しています。
上の写真を見て、田淵先生について思い出しました。

今から48年前、同志社大学2回生のとき、体育の選択科目で私はフェンシングをとりました。運動神経が鈍く、スポーツは苦手でした。でも学生時代しかできないだろうと考えて登録しました。

もちろんフェンシングの剣を持ったことも、防具を身に着けたこともありませんでした。
出欠席をチェックし、フェンシングの概略を説明したのは若い先生でした。30歳ほどでした。かっこいい兄貴に出会ったようで、私は毎回ウキウキした気分で体育館に通いました。

フルーレ、エペ、サーブルという3種類を一通り習い、その後はフルーレのみおこないました。
「一歩前へ」「一歩後ろへ」「突け」をフランス語で言っていたようですが、今はすっかり忘れました。運動神経の鈍い私自身が驚いたことですが、相手が突いてきた剣先を払って、自分の剣をくるっと回すと自然に相手の胸を突くことができました。力は要らない。自分の剣をちょっと左右させるだけで相手の剣は流れていきます。

「へえっ。おもしろいな」と感じ、ますます練習しました。今なら考えられないことですが、貧乏学生でしたので、私は裸足でフェンシングをしていたのです。或る練習試合のとき先生が審判を勤めました。相手が突いてきた剣先をちょっと払って、いつものように自分の剣をくるっと回すと飛び込んできた相手の胸に剣が勝手に刺さりました。
「うまい!」 体育で先生に褒められたのは、はじめてでした。試合が終わって先生が「佐藤くん、シューズを買ってやろうか」と言われました。裸足でフェンシングをやっているのを恥ずかしく思い、つぎの週にシューズを買って授業に出ました。

親切に声をかけてくださった先生こそ田淵和彦先生です。スポーツに疎い私は田淵先生がローマと東京オリンピックに出られた人とは知りませんでした。私が教えていただいた3年前に田淵先生は東京オリンピックでフルーレ団体4位に輝いておられました。そのようなことを知ったのは卒業してからでした。私にとっての田淵先生は親切でかっこいい兄貴のような存在でした。

数年前、母校から送られて来た雑誌に田淵先生が退官され、工学部名誉教授になられたと掲載されていました。太田雄貴選手も田淵先生の指導を受けて、リオ五輪ではきっと金メダルを取ることでしょう。



Posted by 一道 at 15:06│Comments(0)
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