2009年08月25日

澤木老師のことば




(この写真は『澤木興道老師のことば』櫛谷宗則編 大法輪閣 発行より)

七月中旬、櫛谷宗則さんが本を一冊くださいました。


「澤木興道老師のことば」という本です。
宗則さんは私の先輩で、すでに何冊も澤木老師について本を出版されています。
今回、出されたその本は百ページほどの小冊子ですが、澤木老師の珠玉のことばが詰まっていました。


 澤木老師は私の法曾祖父、すなわち「ひいおじいさん師匠」です。
澤木老師、内山老師のことばのひとことひとことが私の生きる指針であり、お守りです。


 澤木老師は明治十三年(一八八○)三重県津市に多田惣太郎の六番目の子として生まれました。
四歳で母を亡くし、七歳で父を亡くしました。
その後、澤木家の養子になりましたが、十七歳のとき出家を志し永平寺へ行きました。
十八歳のとき得度を受けました。
二十一歳の終わり兵役につくまで西有穆山禅師の高弟、笛岡凌雲方丈に随身しました。
日露戦争に従軍して負傷しました。
除隊後、大和法隆寺勧学院の佐伯定胤僧正について唯識教学を学びました。


 大正元年(三十三歳)、ほぼ仏教教学の概要を学びおえた老師は、勧学院を出て丘宗潭老師の会に参じるようになりました。
その後、駒澤大学教授・総持寺後堂など受けたすべての配役を用いて皆に只管打坐を勧めました。


 続けておられた全国巡錫を昭和三十八年に止め、京都の安泰寺で後進の指導に当たられました。
昭和四十年十二月二十一日、安泰寺の弟子たちに見守られるなか八十六歳で遷化されました。


 澤木老師が遷化されると内山老師がそのあとを継がれました。
昭和四十年から昭和五十年までの十年間、内山老師は安泰寺住職として坐禅指導されました。


 私が安泰寺に行ったとき内山老師はすでに引退され一年が過ぎていました。
私は内山老師のあとを継がれた渡部老師の弟子になりました。
私は渡部老師のもとで十年半修行し、ここ平勝寺へ来ました。


 今回、宗則さんが編集された澤木老師の最初のことばはつぎの通りです。

「おのれを抜きにすれば、人生すべてのことで解決しない問題はない」

深くこころに刻むべきことばだと思います。
私の日常はほとんど自己弁護と他者依存に終始していますので、このことばによって自戒しなければなりません。

 先回、鈴木正三のことばを紹介しました。
正三は苦悩の原因を「我が身がかわいいと思う念」であると看破しました。
我が身かわいさからあらゆる問題を引き起こしていると言ってもよいと思います。

 澤木老師の「おのれを抜きにすれば、すべての問題は解決する」のことばと鈴木正三のことばを私は同じ意味に受け取っています。

 私はお守りを持っています。お守りを持っていれば災難や苦しみに出会わないという訳ではありません。私が出会う災難も苦しみもそれら一切が私のいのちの糧となって、また歩んで行こうという力を与えてくださるのがお守りです。
その意味で私にとって澤木老師のことばはお守りです。


 さきほど澤木老師は十八歳のとき得度を受けて雲水になったと書きました。
どこで得度を受けたと思いますか。

 九州天草の宗心寺です。
宗心寺の沢田興法和尚について得度したのです。
澤木老師は天草で鈴木正三のことを知っておられました。
私は正三研究旅行で天草へ行ったとき宗心寺へ寄ってきました。

 いろんなご縁があるものです。
 
  


Posted by 一道 at 11:59Comments(0)